
先日「恐怖心展」という展示会に行ってきました!
オカルト好きな筆者にとっては、いてもたってもいられないイベントです。
この展示は、お化け屋敷のように驚かせる仕掛けがあるわけではなく、“人が恐怖心を抱く瞬間” をテーマにしたもの。音や映像、さらには具体的な「物」を通して、「誰かが感じた恐怖」が表現されていました。
たとえば——
- 物忘れに対する恐怖
- 鏡への恐怖
- 視線に対する恐怖
- 泣き声に対する恐怖
- ノスタルジーに対する恐怖
といった、日常の中に潜む小さな恐怖です。
恐怖心は「共感しにくい感情」
会場を巡っていると、「わかる、これは怖い」と強く共感できるものもあれば、「え、これが怖いの?」と首をかしげるものもありました。
恐怖心というのは、「楽しい」「嬉しい」といったポジティブな感情のように分かち合いやすいものではなく、その人の過去の体験や生活環境、価値観に深く根ざしたとても個人的な感情だということを実感しました。
たとえば「鏡が怖い」という人の中には、幼少期に聞いた怪談や実体験が影響しているかもしれませんし、「物忘れが怖い」という人は、自分や身近な人の老いや病気を強く意識したことがあるのかもしれません。背景を知ると「なるほど」と思えるけれど、知らなければ理解しづらい。まさに、共感しにくい感情です。
デザインや表現につながる気づき
この体験から得た学びは、人の感情は必ずしも“シンプルに共有できるもの”ばかりではないということです。
同じものを見ても、ある人は「美しい」と感じ、別の人は「不気味」と感じる。私たちが作るデザインや映像、グラフィックも同じで、受け手の立場や経験によってまったく違った意味合いを持つことがあります。
だからこそ制作においては、
- 自分がどう感じるかだけで判断しない
- 受け手の多様な解釈を想定する
- ときに「わかりやすさ」よりも「余白」を残すことで、多様な感情を受け止められるデザインにする
といった意識が必要だと改めて感じました。
おわりに
「恐怖心展」はただ怖がるための展示ではなく、人間の感情の複雑さを可視化した場でした。
そしてそれは、デザインや表現の世界にも深くつながっている気づきでもあります。
恐怖心をテーマにした展示でしたが、私にとっては「人の感情の奥行きに向き合うきっかけ」となり、制作の姿勢を見直す一日となりました。

